041.告白




「夏候惇将軍ですか?いえ、今日はこちらには見えられておりません。
 …申し訳ございません、私には分かりかねます。」

「殿なら今朝いつものように出仕いたしました。」

「こちらにはいらっしゃりませんよ。」

「…申し訳ございません。」




どこへ行っても貴方がいなかった。
誰に聞いても貴方の行方を知らなかった。
どこに いるの。
どこに いったの。
わたしを置いて、いってしまうの?


のんびりだった歩調はいつもの速度を取り戻した。
捜す足取りは大股になった。
右足が、左足を追い越す速度が上がった。
大股は急ぎ足になった。
小走りになって、ぶつかりかけた典韋殿に怒鳴られた。
怒鳴り声が聞こえなくなるほど離れた時には走り出していた。

走っても、走っても、貴方に追いつかない。
ねぇ、どこに行ってしまったの。




自分でも理解できないままに彼を捜し続けた。
捜し始めたきっかけは、ほんのささいなことだったはずなのに。
姿が見えなくて、どんどん行方が分からなくなって、しまいには気が狂いそうだった。

いい年して、はるか高位に就きながら、散々走り回った。
城の書庫で書きものをしている夏候惇を見つけた時には、
秋の空は茜色に染まっていた。




「ん?張遼?どうした?」

いつもの調子で発声しながら夏候惇が体ごと振り返った。
夕日で書庫は橙色に染まっていた。
吹き飛ばすように開いた入り口から、張遼の長い影が伸びている。

影と張遼は、肩が上下するほど荒く息をしていた。
その剣幕に驚いて夏候惇は目を丸くして張遼の返答を待った。

ゆっくりと、でも出来るだけ急いで、唾を飲み込み、息を整える。




ああ、ここにいたのか。






「貴方にしがみついていないと、私はするっと落ちてしまう気がする。」



細い声が聞こえて、
どこに、なんて冗談めかして答えようとしたのに、
のどが引きつって声が出なかった。

ひゅう、と無様な音が出た。

どこかでこんな顔をした人間を見たことがある。

脳内で鮮烈なフラッシュバックが起こる。

あれは、戦乱で親を亡くした子供の顔だったか。
形も崩れた親のそばで、混乱して、悲しんで、途方にくれた、子供の。

いや、やはり張遼の顔だ。
曹操にお前は生きろ、と言われたときの。





「…お前、折角笑うようになったのに、まだそんな顔をするのか。」




気がついたら、そう言っていた。
手にした書簡も筆もそのままに。
呆然と口にしていた。
筆から、書卓につけすぎた墨がぱたりと落ちる。

失言だったと気付いたのは頬を思い切り張られた後だった。

無言で張遼が駆けるように間合いを詰めて、右腕が振り上がったのまでは視認できた。
気がついたら、ばしんと音が響いて、夏候惇の視界は90度回転していた。
誇張なく、夏候惇はアタマが吹っ飛ぶかと思った。

衝撃で筆が手から離れ床を転がった。

うわ、しまった、うっかりしていた。

張遼の、不安定な時は分かるはずなのに。
どうして自分は迂闊なのか。
いきなり殴られた怒りも起こらずとっさによぎったのは後悔。
張遼を手に入れるとは、そういう意識になるということ。

なんと切り出せばいいのやら困り果てながら筋の痛む首を元の位置に戻したら。
音も立てずに腕が首に回ってきていて、白い貌が、見えるほうの目の横を掠めた。
茶色い髪から出た白い耳の端が目に映る。
触れ合った胸は切ないほどに早く鼓動していた。

ついに、左手に残っていた書簡も落ちた。
しがみつく腕は遠慮なく夏候惇を締め上げる。
腕に潰される首筋が痛みを訴える。

張遼の向こうに沈みゆく太陽がが見えた。




制限時間などなかったけれど、間に合った、と思う。




耳元で小さく子供が啼いた。

「いなくならないで。」























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