062.指輪 じゃっ、じゃっ、じゃっ。 砂利を踏む早い足音がいくつもの鼓膜を打つ。 顔に険のある男達は門から玄関まで両側に並び、腰を落とし頭を下げ、声をそろえて客を迎えた。 彼らは今、分家の若い組長を屋敷に迎えたところなのである。 「いらっしゃいやし、張遼の兄貴ィ!」 「「いらっしゃやし!!」」 ドスの利いた若い衆の声を一蹴するように、張遼は「ああ」と短く答えたのみで足を進める。 返事にはこだわらず男達はもう一度声を合わせた。 張遼の後ろにはその若頭が付き従っている。 「おかえんなせぇ、夏候惇の兄貴ィ!」 「「おかえんなせぇ!」」 上司とは真逆に、夏候惇は足を止めて怒鳴り返す。 「うるせぇ、俺ぁもうここの幹部じゃねぇんだ、挨拶がちげーだろうが!」 「「押忍!!」」 恐縮した様子で男達は頭を下げ、夏候惇は己の組長の背中を追った。 張遼は彼を待つような男ではない。 純和風に作られた屋敷を二人と、案内の男が腰を低くして歩いていく。 縁側を歩き、中庭に面した一室の前まで来ると男が中に来訪を告げる声をかけ、応えがあってからを障子を開ける。 「ご無沙汰しております。」 張遼は中に向かって一礼した。 「よく来たな。入れ。」 声を受けてから顔を上げ入室する。 中にいたのは本家組長曹操、気に入りの壷を愛でていた。 張遼は曹操の向かい側、下座に座り、次いで入室した夏候惇はその後ろに座した。 「おお、お前も元気そうだな役立たずの夏候惇め。」 現れた夏候惇を見て、くつろいだ様子の曹操が更に相好を崩した。 「何?何で俺が役立たずなんだ。」 「やかましいわ。内側から乗っ取ってやろうと思って送り込んだはずなのにすっかり骨抜きにされおって。」 「ぬっ…」 やりとりを横目で見て、くくく、と張遼が喉を鳴らして笑った。 乗っ取りなどという穏やかでない謀をおもむろに言われて波風が立たないのは、その計画が結局不必要に終わったこと、それ以前に失敗したこと、既に明かされたこと、明かさずとも明確だったことに因る。 夏候惇は二の句が告げず押し黙った。 張遼の組は元々曹操の傘下には無く、それどころか敵対勢力であった。 抗争が激化したある日、組長の命で張遼一人、西にたった2日、行って帰ってくると全てが終わっていた。 組長はバラされ邸内は曹操配下がに制圧され、張遼と並ぶ幹部二人も闇に葬られた後だった。 内通者がいた。 そのことは張遼に衝撃を与えたが、組の瓦解の方が張遼を打ちのめした。 抵抗することすら忘れて呆然と捕らえられた張遼は、何もされぬまま曹操に引き合わされ、転身を打診される。 「裏切り者と同列に並ぶことを良しとするほど腐ってはいない」と苛烈に吐き捨てた張遼に、曹操はならば、と元の組を張遼に任せた。 組を解体せずに傘下に組み込むというのだ。 元の幹部であった張遼は席順から言えば順当に次の組長、そのことには誰も異論は無い。 勢力が低迷しかけてきていたとはいえ、歴史を持つ大きな組、壊滅させるには戦闘力もコネクションも捨てがたい。 張遼も残された全てを守るため、そして自身の向上心のためそれに同意したのだった。 言われるがまま張遼が組長に就任した翌日、曹操は「手が足りぬであろう、若頭を用意してやったぞ。」と一方的に一人の男を連れてきた。 それが、夏候惇だった。 傘下には組み込んだものの、張遼に叛意ありと見なした場合はすぐに手を打つよう、もしくは内側から張遼を孤立させて実質乗っ取りを図るよう、血の繋がった従兄弟であり長年の腹心でもある夏候惇を送り込んだのだ。 曹操の思惑はいっそ見え透いたほどであったが、かろうじて首の皮一枚繋がっているだけの張遼には否やが言えるはずもない。 全て曹操の計算通りのはずであった。 しかし、思いもしないところから計画は狂う。 いや、張遼はそれ以降本家の意思通り叛意など欠片も見せず忠勤してきたのだから計画の本筋に傷は無かったが、切り札のはずの夏候惇が監視対象であるはずの張遼にすっかり惚れてしまったのだ。 任侠によくある男が男に惚れたなどという硬派な話ではなく、そのままの意味で恋着してしまったのだ。 以後、曹操の「鬼の懐刀」はすっかり張遼の「従順な若頭」になってしまった。 曹操は薄笑いで葉巻をくわえる。 言葉ほど夏候惇に落胆してもいないし、事態を悲観してもいない。 側近がすかさず火を差し出したが曹操は手で追い払った。 「張遼、火だ。」 「は。」 言われるのとどちらが早いか、内ポケットに腕を差し入れた張遼はライターを取り出し、進み出て曹操の葉巻に火をつける。 銀製のそこそこ高価なそれを見ながら曹操は煙を吐き出した。 ヤクザものとしては珍しく、張遼が普段から喫煙する者ではないことは知っている。 「相変わらず吸わんのか。」 「は、必要も感じませんので。」 格好を求めて吸っていた時期もあったが、組の頭を張る今となってはその必要もない。 「煙草も吸わず酒も女も嗜む程度、か。気に入ってもらえて良かったな、夏候惇。」 「やかましい。」 からかわれた夏候惇は背を伸ばし顎を上向けた。 毎度ねちねちと愚痴なのかやっかみなのかただの遊びなのか皮肉を言われ続けていていい加減面白くない。 張遼は口を挟むでもなく笑っている。 考えてみれば組長である張遼が敬語を使っていてその下の若頭である夏候惇がタメ口なのもおかしな様だが、公の場でもなければ咎められることもない。 曹操はもう一度煙を吐き出すと、「で、」と切り出した。 「今日は何だ?」 「先日私のところに刺客が来ましたのでこちらにもお伝えしておこうかと。」 事も無げにさらりと張遼は言った。 「どこのだ。」 「蜀の分家です。」 急を要するゆえ夏候惇自らが腕まくりして吐かせた。 木刀片手に尋問など随分久しぶりのことだが、楽しいことでもない。 吐いた後は遠慮なくボコボコにして路地裏に捨ててきたので運がよければ生き延びただろう。 「…それと最近、蜀本家が。 ウチだけでなく曹魏全体の周りを殺気立ってうろついているようで。」 「…やれやれ困ったものだ。 あそこは金も無いくせにシマを寄越せとアホを言う。」 劉備率いる蜀は新興の組だが成長目覚ましく、古く力の無い組を潰しては大きくなっている。 実は曹操は蜀の勢力域の手前にタワービルを中心とした副都心を作ろうと発案していた。 元は大きな街だったが時代の流れから最近精彩を欠いている街を買い取り、新たにビルを立て店を誘致し、ついでに繁華街まで再生する大きなプロジェクトだ。 これが成功すれば街は再び活気付き、曹操は新たな財源を手にするだろう。 だがそれは周囲、つまり劉備のシマから活気と金を引き離すことになる。 その計画を引き止める金も権力もコネも、劉備は持っていない。 劉備は民のため、民のため、と謳っている。 それ自体は別に良い。 だが麻薬を禁じ政界への癒着を止め、武器の売買、密輸、高利貸しまで禁じたゆえの金欠で自分の首が回らなくなっていては、曹操に言わせればただの無策の馬鹿だ。 そしてカタギを大事にする反面、ヤクザにならば何をしても良いと思っている節があり、すぐに武力に出てくる。 全面戦争するだけの財源が無く、一般人を巻き込むのを嫌がって表立っての銃撃戦のような抗争にはならないが、そのケンカまがいで自分が損害を受ければ勝手に「身内の仇」と燃え上がって来るので非常にめんどくさい。 しかもなぜか武闘派は粒ぞろいで厄介とくる。 「…そうか、短慮には相応の報いをくれてやらねばな。」 「いえ、鉄砲玉を送って来た分家にはこちらから落とし前つけさせます。」 張遼は軽く頭を下げ、冷淡な声で言い切った。 情報力の他に、張遼には他の分家の組長や本家幹部よりも秀でていると言われているものがある。 その一つが、鋭利な刃物を思わせるその冷徹さだった。 非道でなく冷酷でなく、また不必要にではなく、いつでも情を切り捨て冷静に判断ができる。 面子を汚されようが何だろうが、頭に血を上らせて短慮に出るということが無い。 「…わかった、漢蜀本家には儂から言っておこう。」 「は。」 張遼は深く頭を下げると、ではこれで、と立ち上がった。 「なんだ、急だな、折角来たんだ、茶でも飲んで行かんか。」 表情を崩し引き止めるが張遼は苦笑して頭を下げた。 「申し訳ありません、この後予定がありまして。」 曹操はつまらなそうに煙草をもみ消した。 「では次は予定の空いている時に来い。 たまには共に飲むぞ。 …ああ、そこの役立たず抜きでな。」 再び揶揄された夏候惇がぎろりと睨んでくるのを楽しげに見返して再び壷を膝の上に抱え上げた。 夏候惇にも張遼にも、その壷がいかほどの価値を持つものなのかはわからない。 障子を締める寸前、曹操が正面を向きながら独り言のようにぽつりと漏らした。 「…放っておけば金欠で自滅するだろうが自棄がこちらまで飛んできても馬鹿臭い。 消える時はキレイに逝ってほしいものよ。」 「……組み上げるおつもりでは?」 「それほどの物が残るかな。」 曹操は口髭をなでた。 その様子を見送り、張遼は一礼してその場を辞した。 |