090.虜



「ちょ、張遼どの!」
振り返ると顔を真っ赤にして、いつにも増して挙動不信の同僚。
「せ、拙者…」
続く熱い言葉を聞いて張遼は。
「左様ですか。それはどうも。」
それだけ言ってその場を去った。
ぽつんと、肩透かしを食らった徐晃がいつまでもその場に立っていた。







その晩、張遼は手酌で飲んでいた。
月を見上げ月へ語らいながら。
否、彼の人へ語りながら。

「奉先様、どう致しましょう。私の虜になったと申し出た者がおりましたよ。」

その声はこの軍の誰も耳にしたことがないほどに穏やかで。
その顔は彼の人以外は目にしたことがないほどに優しげで。

そんな彼を想像だに出来ぬ者がどれほどいようか。
そんな彼を我の隣にと思う者がどれほどいようか。

春と呼ぶにはまだ早い、肌寒い風が彼の白い肌を掠めてゆく。
薄着のままで手先足先冷えているだろうに一向に気にした様子も無く。
ゆるゆると盃を口に運ぶ。

いくら語りかけようとも月は彼の人は声を返してはくれぬ。
別に構わなかった。
昔から呂布はマトモにしゃべらない人間であったから、ほとんど変わりは無い。
ただ燃える様な体温が傍に無く。
温度の無い光が静かに降っているだけ。

最初は寂しくて寒くて涙が出そうになったが、よく考えたら月光でもいいかと思った。
張遼にとって彼は闇夜の月のような人だったから。

それ以来、張遼は明るい静かな月の晩、決まって一人で酒を飲む。
声に出して、または声には出さずに心の内で、近況報告など他愛も無い話をする。

そう、今日の話題も他愛も無い事で。

「真っ直ぐで穢れを知らぬ清らかな武人が告白して参ったのです。」

 彼は私を自分のものにしたかったのでしょうか、それとも私のものにされたかったのでしょうか。

 まぁ、どちらでも。

 笑える話。

「可笑しいですねぇ。私は奉先様の物ですのに。」

口元に浮かんだ笑みは手にした盃に映る月へ冷ややかに昇って行った。











山田半壊気味。
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