005.チョコレート






いつもと変わりない、天気の良い冬の朝。
いつものように張遼が起こしに来て、身支度を整えた頃、別のメイドによって部屋にいつも通り朝食が運ばれてくる。

けれど今日の曹丕はちょっとソワソワしていた。

「どうかなさいましたか。」

張遼はいつもと変わらない。
グラスを手にとってオレンジジュースになさいますか、牛乳になさいますか、なんて聞いてくる。

クロワッサンをかじりながら思う。

 鈍いぞ。

張遼は住み込みのメイドで外出しないから、街中のフェアも見てないかもしれないし、どれだけみんなそれに浮かれてるのかは
知らないだろうけど。
毎日カレンダーは見るのだろうに。
テレビでだって、散々言ってるのに。
学校でだって、みんな気にしないふりしてるけど気にしてるのに。

しょうがないので、ヒントを出してみた。

ぼそっと、ベーコンをフォークで突き刺しながら。

「…甘いものが食べたいな。」

 ちょ、チョコレートだなんて言ってないけど!

でも張遼は。

「…はぁ。お珍しいですね。
 果物ならすぐご用意できますが。」

曹丕はフォークをテーブルに叩きつけた。

鈍い!
ばか!

「…いらない!学校に行く!」

突然の癇癪に驚いた張遼が、跳ねて落ちたフォークを拾っている間にカバンを引っつかんで部屋を飛び出した。

普段は言わなくても曹丕の意思を察して手を回してくれる有能なメイドなので、たまにやらかす天然な無配慮が特別曹丕を落胆させる。
しかもそれはこういう張遼自身の関わるイベントごとの時に多い。

曹丕はぷりぷりしながら乱暴に車に乗った。




ぽつんと残された張遼が眉間に皺を寄せて、何か気に障ることをしただろうかと考え込んでいる。

朝食をワゴンで運んできたまま一部始終を見ていた別のメイドが見かねてそっと進言した。


「…あの、今日はバレンタイン、なので…きっとそれじゃないかと…」


張遼は大きく目を見開いた。








学校が終わり、迎えの車に乗って家路に着く。
曹丕の横にはチョコレートがいくつも入った大きな紙袋が2つ置かれていた。

 別に、こんなものちっとも欲しくない。

顔も頭も良くて運動もできる曹丕はそれなりに女の子に人気がある。
当人どうのではなく、曹操の息子と親しくなっておこうという親のたくらみもあったりするし、そういうこと一切関係無しに
ただチョコのプレゼント会みたいになっている子もいた。

だから、紙袋の中身はどうでも良かった。
どんなに可愛い女の子にチョコレートをもらっても、朝の一発目の衝撃が後を引いて曹丕の機嫌を損ね続けていた。
そんなにも曹丕の中であのメイドの存在が大きいことに、本人は全く気付いていない。

 バレンタインにチョコも渡さないメイドなんて、駄目なメイドだ。

帰ったらまず叱ってやらなきゃならないな。
そう思いながら通り過ぎていく町並みを眺めていた。



曹丕が家に着く時は、必ず張遼が玄関まで出迎えに来ていて、車が止まって運転手がドアを開けるとお帰りなさいませ、と
頭を下げて迎えるのだ。
けれど今日に限ってその姿が無かった。
代わりに、張遼と仲の良い長身のメイドが立っていた。
こんなのは初めてだ。

「お帰りなさいませ、曹丕さま。」

「…張遼はどうした。」

不快も顕わに問う。
張コウは困ったように眉を寄せた。

「張遼さんは今手が離せないということで…。」

「は?手が離せない?」

そんなことはありえなかった。
いつだって張遼は曹丕を一番にして呼べばすぐ来るし、大体大抵傍にいるのだ。

「ええ、午前中からずっと出てきません。
 代わりに私にお出迎えを頼まれただけで…。」

「ばかな、すぐに呼んで来い。」

「いえ、作業が終わるまでは例え曹丕さまがお呼びでも参られませぬと伝言を頼まれております。」

「なっ・・・!」

今度こそ開いた口が塞がらなかった。

曹丕専属メイドである張遼は、雇用主である曹操を除けば、曹丕の言葉を至上命令として行動することになっている。
教育上の都合からそれは絶対ではないことになっているが、今まで張遼は曹丕に逆らったことは一度も無いのだ。

 それが、今日に限って。

半日ほどとはいえ、待ちに待った再会のはずが、見事に裏切られた。

じわり、と目頭が熱くなるのを感じた。

「おカバンお持ちしますよ。」

優しく手を差し出した張コウに無言でカバンを叩き付けると、曹丕は一目散に駆け出した。
驚いて呼びかけられた声など聞こえなかった。

張遼が逆らったのが悔しくて悲しくてびっくりして。
張遼が傍にいないことが有り得なくて寂しくて嫌で。
泣いてしまった自分が恥ずかしくて情けなくて。


自分の部屋へ駆け込むと内側から鍵をかけた。
弾む息もそのままにベッドへ飛び込むと顔を思い切りベッドカバーに押し付けた。

 張遼が今朝チョコレートをくれなかった理由がわかった。
 忘れていたのでもなんでもない、じつは張遼はおれのことが嫌いだったのだ。

 じゃあもう張遼なんかいらない。
 そんな生意気なメイドなんかこっちから願い下げてやる。
 散々困ればいいのだ。

そう強く心の中で言ってみたが、その言葉は涙が吸収して自分の表面を流れ出ていってしまうかのようにたちまち消えてしまった。
あとからあとから湧き出してくるのは切ないほどの悲しさだった。

同じく何故か湧き出して止まらない涙が、熱くて熱くて仕方が無かった。

ただの子供ならば大声で泣いて寂しいと欲しいと訴えればいい。
けれど曹丕には既にそれを恥と、無様と、断ずるほどのプライドを持ってしまっていた。

嗚咽を押し殺すためにカバーを強く握り締め、噛み締めた。

鳴き声など、漏らすものか。

…メイドに泣かされている自分など、知られるわけにいかないと思った。


















泣き疲れてうとうとと寝てしまった曹丕は、ノックの音で目が覚めた。
あたりは既に薄暗く、時計を見れば5時を半分、過ぎている。

もう一度、2回続くノックが鳴った。

「曹丕さま。」

扉の向こうから聞こえてくるのは最も親しんだメイドの声。
それを聞いて、ぼんやりとしていた曹丕の頭はいっぺんに覚醒した。

「何の用だ!」

「張遼でございます。少々よろしいでしょうか。」

はっきり言って今はとても怒っているし、なんだか惨めな気分だったのでちっとも会いたくなかった。
けれどもとっさに追い返す口実も見つからない。
それに、そんな感情に任せたことを言うのはとても卑屈なことだと思った。

…それから、じつは、会いたくないのと同じくらい、会いたい気もした。

「…入っていいぞ。」

ベッドの上に座りなおしてゆっくりと声をかける。
鍵を回して静かに開いたドアから漏れてくる光がすでに眩しかった。

張遼はめずらしくワゴンなど押して入ってきた。
部屋の中が暗いことに張遼は少し驚いたようだった。

「…電気もつけられずに、何をなさっていたのですか?」

言いながら曹丕の姿を見つけてワゴンを押しながらベッドへと近付いてくる。
傍にワゴンを置き、曹丕の前にスカートを折って跪いた。
白い手が曹丕の頬に触れる。

「…寝ていらっしゃったのですか。」

寝起きの顔を近くで見て、くしゃくしゃになった前髪を梳いた。
泣いていたこともきっとバレただろうけれど、それについては張遼は口にしなかった。
張遼はプライドの高い曹丕にそんな無粋なことは言わない。

曹丕はうるさそうにその手を払いのけた。

「…何やらの仕事はもう終わったのか。」

「はい。」

「…お待たせして、すみませんでした。」

「…べつに、待ってない。」

拗ねた口調で言うと、張遼は微笑んだ。
その笑みは、何もかもお見通しのようで、曹丕はもじもじしてしまう。
張遼は膝の上で握られている曹丕の手をそっと掴まえた。

「…実は曹丕さまが学校にいらしてから、ずっとホウ徳さんのところにいたのです。」

「ホウ徳?…コックの?」

曹丕は目を瞬かせる。

「はい。無理を言ってずっとお料理を教わっていたんです。」

変なことを言う。
曹丕の家にはホウ徳を筆頭に料理番がいて、和洋中なんでも彼らが作るので、メイドはメイドの仕事して、料理はしない。
張遼のように誰かのお付きのメイドは、その子供の世話だけをする。

そこで曹丕は張遼がワゴンを押してきたことを思い出した。

「…今朝は、申し訳ありませんでした。
 すっかり忘れてしまっていて。」

そう言うということは何のことだかわかったのだろう。

「お詫びに、遅くなりましたがチョコレートを持って参りました。」

顔を上げてよく見れば、ワゴンの上にはまだ温かそうな、少しばかり不格好なチョコレートケーキが乗っていた。

「料理は初めてですので決して出来が良いとは言えませんし、お夕食前なのですが。」

少しおどけたように張遼は言う。
曹丕はぎゅっと張遼の手を握った。

「…召し上がって、いただけますか。」

張遼が切なそうに微笑むので、曹丕はちいさく頷いた。

「…たべる。」





張遼は部屋に電気をつけ、曹丕のために椅子を引いて座らせると、嬉しそうにケーキを切った。
それはいつもデザートやおやつに出されるものに比べて、多少不恰好ではあったが、はるかにおいしそうに見えた。
ようやく冷めたばかりのようなガトーショコラに生クリームをたっぷりと添える。

それだけで終わらずに張遼は赤いストロベリーソースを、丸い皿の輪郭に沿うようにケーキの横に点々と垂らしていった。
もしかして、と思い緊張して見守る曹丕の前で、張遼はその線の中央をフォークで線を引くように引っ掻いた。

「小細工ではございますが。」

そう恥ずかしそうに曹丕の前に置かれた皿の上には赤いハートが5つ連なっている。

「わたくしからのバレンタインプレゼントでございます。」

曹丕は再び熱を持った目頭をぐいとぬぐうと「うむ」ともったいぶった返事をしてフォークを握った。
今は目頭だけでなくて顔全体が熱い。

口に運んだガトーショコラは、シェフのものより少しふわっとやわらかくて、優しく優しく、甘かった。











「そういえば、張コウさんに鞄をぶつけたそうですね。」

すっかりいつもの調子を取り戻した張遼が曹丕に尋ねた。
言葉は尋ねるようであっても、それは確かめるものだったが。

曹丕がバツが悪くて返答できないでいると、張遼は静かに続けた。

「腹が立っているからといって人に当たるのは褒められたことではありませんよ。
 張コウさんはわたくしの代わりにお出迎えに立ってくれたのです。
 何かをなさる前には少しお考え下さいませ?」

冷静になってみれば短慮であったと自分でもわかっている曹丕は、何と返そうかとフォークを咥えている。

「…今回はわたくしが全面的に悪うございますので、あまり強くは言えませんが…。」

たしなめていた口調が先に反省を始めたのを聞いて曹丕はすぐに口を開いた。
部下にばかり責任を持たせるのは立派な主とは言えない。

「…わかってる。あとで張コウには謝っておく。」

「そうなさいませ。」

張遼は微笑んだ。
年のわりに少しプライドが高すぎるではないが、素直に諫言を聞きいれ日々成長していく主が張遼は愛おしくてたまらないのだ。
そして主に恥じぬよう自分ももっと精進せねば、と思うのだった。




そうして二人でいつもの会話を楽しんでいると、重たい、男の足音が近付いてきて、こここんっとノックをするなり返答を待たずにドアを開けた。

「よう曹丕、いるか?」

「…惇叔父…」

現れた片目の男を見て曹丕の眉がぐっと寄った。
口が「うげぇ」と言いたそうに歪んでいる。

「近くを通ったからな、顔でも見て行こうかと思ってな♪。」

その口調はことさら明るい。

「…誰の顔だか…。」

「ん?何か言ったか?」

小さく毒づいた曹丕を大して気にせず夏候惇は張遼に顔を向ける。

「おぅ、張遼、いたのか。」

「はい、お久し振りでございます夏候惇様。」

何がいたのか、だ。と曹丕は心の中で舌を巻いた。
曹丕のところにほぼ間違いなく張遼はいる。
それをとっくに知っていて夏候惇は曹丕を訪ねて来るのだ。
甥の顔を見に来たなどと言いながら曹丕のほかの兄弟のところには寄らずに帰るのだから、子供の目にも真の目的は明らかだった。

ちなみに、だいぶん前のことだが夏候惇は花束を持って現れて張遼に「みやげだ」と渡したことがあったが、受け取った張遼はそのまま
「ありがとうございます。曹丕さま、夏候惇様が花束をくださいましたよ。」と言って手早く曹丕の部屋に飾ってしまった。
その時の夏候惇の複雑な表情を思い出すといまだに笑えて来る。
もちろんそれ以来夏候惇は手土産に花を持ってくることは、無くなった。

こんな下心の見え見えなやつにお辞儀なんかしてやらなくたっていいのになどと思いながら口には出さずケーキを運んだ。

「なんだ?こんな時間におやつか?」

全くもって何気ない風の叔父からの問いに、曹丕はシアワセと優越感に浸っていた余韻で、つい素直に答えてしまった。

「いいだろう。張遼が作ったのだ。」

言ってからはっとする。
バレンタインデーのことを、この叔父が知らないわけが無いのだ。
久しぶりにだが「今日」やってきたのは明らかに張遼からのチョコを狙っているしるしだろう。
しまった、と曹丕は口を噤んだが、時既に遅し。

案の定、敵はそれに食いついてきた。

「ほう、そうなのか。
 へぇーめずらしいな。俺にもちょっとくれないか!」

ちょっとくれとかどんだけ無様なんだよ!とか判断する頭はまだ曹丕には無い。
目上の叔父にくれと言われて嫌だと突っぱねてもよいという教育は、曹丕は受けていない。
曹丕は心の底から嫌な顔をしてやった。

ところが思いもしない言葉が横から割って入ったのである。

「申し訳ございません。これは曹丕様に差し上げたものですので、夏候惇様に食べていただくわけには参りません。」

張遼ははっきりとそう断った。
ぽかんと曹丕は張遼を見上げ、夏候惇は

「…そっ…そうか。」

と面食らったように返事をしてから、どーんと落ち込んだ。
わかりやすすぎるくらい好意を示してしまう不器用な人なので、ガッカリする様も非常にわかりやすい。
それに対して同情する気は、曹丕にはさらさら起こされなかったが。

が、今回はそうガッカリしたままというわけでもなかった。

「代わりにこちらをどうぞ。」

そういって張遼が瀟洒なワゴンの下段から取り出したのは白い紙袋。
チョコレート色のリボンが付いている。

「今日直接お会いできるかわかりませんでしたので、包んでおきました。」

は…と夏候惇が頬を染める。
その様子を曹丕は再びぽかんと眺めた。

「ちょ、ちょうりょ…」

「バレンタインですので、日ごろの感謝を込めて。」

そう言って張遼がにっこりと笑う。
夏候惇が気分を再浮上させたことは明らかだ。
おう、もらっておくぞ、と受け取って、きっとホワイトデーのお返しまで考え始めたに違いない。

何となく面白くない曹丕にそっと張遼が耳打ちした。

『残りのチョコレートを塗ったクッキーですよ。』

意図するところは、明らかに、義理。
しかも曹丕の残りもの。

張遼はいつもそうやって曹丕の不機嫌を取り除いてくれる。

曹丕は今度こそ完全に機嫌を直してケーキに向き直った。
あとは何が起きようと自分の優勢は揺るがぬという自信の表れでもある。

すると張遼は曹丕すら意図しないままに、多少浮かれた夏候惇にとどめを刺した。

「あと、こちらは曹操様に渡していただけますか。」

そう言って取り出したのは夏候惇に手渡したのと全く同じ紙袋。
いくら鈍い夏候惇とてその意味するところを察しないわけが無い。

一度立ち直った後に再び襲ってきた衝撃に、今度こそ夏候惇は心を折られた。
弱々しく「そ、そうかわかった…」と言うと別れの挨拶もそこそこにふらふらと引き上げていったのである。


突然現れた不幸な台風をしばらく見送ったあと、曹丕はさすがに良心に何らか触れるところがあったのか、張遼を横目で見る。

「…持ち上げてから叩き落すとは、意地が悪いのではないか?」

しかしそれに対する張遼の返事は元々用意してあったかのようにサラッと流れた。

「わたしは大それた何事もしておりません。
 あのお方が過剰に期待なされただけのことでございます。」

ツンとすまして悪びれなくそう言うので、曹丕は最もだ、と笑った。
そして曹丕は心の中で敵に向かって合掌しておいた。
ついでに、もう復活して来るなよ、との念も送っておくのも忘れずに。





それに、と。

「本命チョコは、二つあっては意味がございませんので。」

などと嬉しいことを、自分だけの可愛いメイドが言うから、

「ホワイトデーを楽しみにしていろ。」

曹丕は幼い口で男らしく宣言したのだった。

















惇兄はおうちに帰ってクローゼットの中で泣きましたとさ。
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