062.指輪 <3>





 二人は日が沈む前にはファミレスを出て(子供達が建物内に引っ込んだからだ)、都心に戻って適当に街を歩いた。
用が無いから帰ろうと言う張遼を引き止めて男二人でウィンドウショッピングだ。
知り合いに会ったらどうする、と渋ったが、少しでもデートをするぞと浮かれる夏候惇に腕を引かれ苦笑しながら後に続いた。
確かに、供をつけずに二人だけで身軽に街を歩けることは滅多にあることではない。
増してデートと言われて忌避する気は起きなかった。

 すっかりネオンが輝くようになった頃、用があるといって宝石店へ入っていった夏候惇を一人店の外で待ちながら、通り過ぎる人々を眺めていた。
その姿はごく自然と周囲に紛れていたが、既に張遼の脳内は普段のものへと切り替わっていた。
先日刺客を送って来た組がどう出てくるか。
曹操から向こうの本家へ話が通れば、手出しは無用と申告しておいたが向こうの内輪で何かの処置は下されるに違いない。
鉄砲玉を送ってくるようなところだ、それを受けて大人しくなるような集団ではあるまい。

「おう、待たせたな。」

店から出てきた夏候惇が思考を中断させた。手ぶらだ。

「何だ?何か買うんじゃなかったのか?」

「んーまぁな。で、次はどうする、そろそろメシに行くか?」

「残念だが時間切れだ。もう戻らねば店が閉まる。」

二人は彼女の店で車を返して着替えなければいけない。
彼女と運転手に連絡を入れてどこかで落ち合うことも不可能ではないが、携帯電話は電源を切って店に置いて来ていた。
夏候惇が小さく舌打ちする。

「そう腐るな、元に戻ってから改めて食いに行こう。」

機嫌よさげに張遼は肩を叩いた。
イライラしている夏候惇は可愛く見えて気に入っている、のは本人には秘密だ。






 二人は出た時の手順で元のビルへと戻った。
閉店時間が割と早いので、閉店まで一時間を切るという怪しまれない入店ギリギリだ。

浮かれたわけではないが、何事もなく外出が済んだ、と二人は良い気分で隠れ蓑である彼女の店へとたどり着き、裏口からドアを開けた。
しかしそこにある男の顔を見て俄かに表情を険しくする。

「…兵頭?」

「組長!若頭!」

そこにいたのは張遼の組幹部の一人とその若い弟分だった。

「ここには来るなと言ってあると思うが?」

「すみません、承知してます。ですが緊急事態で。」

「…何があった。」

店主はやりとりを横で聞いてすぐにVIPルームの扉を開く。
自分やスタッフといった部外者がいてはまずいと判断したことだ。
四人はそのままそちらに流れ込む。
ドアが閉めれて開口一番は、向こうからの質問だった。

「…なんて格好してるんですか。一体どこ行ってたんです?」

「そのことには触れるな。無論他言無用だ。漏らしたら夏候惇が後ろから刺すからな。」

俺が!?と口を挟むのを張遼が手で押しとどめる。
冗談を長く言う気はない。

「で、何事なんだ。」

矛先を変えた夏候惇の問いに部下は単刀直入に答えた。

「沢渡がラチられました。」

「なっ!?」

夏候惇が絶句し、張遼も驚く。
沢渡は張遼の運転手を務める男で、今日ここに来る車も彼が転がした。

「…組にお戻り下さい。
 事情は道中。」

二人は頷いてスタッフを呼び出し、預けてあった元の服に着替えると、四人は慌ただしく店を後にした。




 運転手を攫ったのは先日鉄砲玉を送ってきた組だった。
張遼の組へ本人達から一時間ほど前に連絡があったのだ。

例のビルの駐車場で張遼達を下ろした後、沢渡は付近で時間を潰すことになっていた。
ビル内を適当に回ることもあるが、今日はとりあえず車内で仮眠をとることにしたらしい。
そこを例の組の者達が取り囲み、暴力の末、車ごと拉致した。
あっという間の出来事だったが、監視カメラには映っていたのを、既に兵頭達で確認した。

拉致から組への連絡に時間差があったのは、沢渡が張遼には夜まで絶対に連絡がつかないと主張し、実際沢渡の携帯からにも拘わらず携帯に全く繋がらなかったことによる。
組の電話番も一緒に出かけたはずの運転手が攫われて張遼達が向こうが手を出していないのに行方不明、しかも連絡がつかない、ということでしばらく混乱があったらしい。

「…奴らの目的は身の代金とかではなくて組長と若頭なのでなんとか時間は保ちましたが、今度からは絶対、携帯くらいは持ち歩いて下さいよ。
お二人揃っていなくなられちゃ俺達何ともできません。」

出掛けに張遼が言った通りのことを言われて、夏候惇は睨まれるかとちらりと張遼を見たが、当人は前を見据えたまま、そうだな、と頷いただけだった。

「…目的が私というのは?」

「よくわかりませんが、とにかく組長か若頭を出せ、ということで。
 …話だけでカタがつくとは思いませんが。」

連絡が付き次第張遼の携帯から沢渡の携帯を鳴らすことと、蜀の本家には黙っていることを指示してその電話は切れた。

「…恐らく例の開発から手を引けと交渉するのだろうな。
 だが蜀本家に隠れて動いているあたり、前件で向こうも後が無いのだろう。こちらが付け入る隙はいくらでもありそうだ。」

口に出して状況を確認しているが、張遼の腹の中ではプロジェクトと自分または夏候惇の命と沢渡とでは、沢渡を切るという結論は既に出ている。
部下一人の命を軽く見ているわけではないが、プロジェクトは張遼の組のものではない。本家の意向を勝手に曲げることなどできはしない。
後は組長と若頭と運転手を三叉の天秤にかけるだけだ。難しい話ではない。

向こうが連絡を試みても叶わぬように、携帯の電源は落としたまま車は事務所へと走った。






 事務所につくなり、張遼の携帯電話を別室のスピーカーに繋ぎ、通話している者以外にも会話が聞こえるようにし、沢渡の携帯へと電話をかけた。
4回のコール音ののち、相手が電話に出る。

『…よォ。張遼サンか?遅かったな。』

電話口の声はまだ若い。
30前後だろうか。

「単刀直入に聞く。何の用だ。」

『…噂通りクールな奴だな。まぁいい。
 もう聞いてると思うがあんたんとこの運転手は預かってる。返して欲しけりゃアンタと夏候惇、二人で出てこいや。』

「…俺、と、夏候惇?どちらかでなく?」

『おぉ。』

聞き返す張遼に男は半笑いで応える。
真摯な態度など求めるべくもないが癇に障る。

「…随分と欲張りなことだな。だが、たかが運転手一人のために二人ともどころか若頭一人だって動くと思うのか?」

『…そう言われるかも、ってさっき気付いてな。もう一人来てもらったんだよ。』

「何…?」

『あんたが今日昼間お世話になってた女。エステサロンの女社長の、高木さん?いい女だねぇ。』

「何っ、」

張遼側、ドアの向こうでガタン!と音がした。
盗聴していた誰かが驚いて体を何かにぶつけたのだろう。

『ほら、電話代わるよ。声聞きてぇだろ?』
『…張遼さん…』 

数拍の間の後に泣きそうな女の声が聞こえてくる。
その僅かな会話だけでは本人か偽者か判断できず張遼は隣に立つ部下に目配せし、彼女の携帯へと電話をかけさせる。
途端、電話の向こうで音楽が流れた。
そして音が途切れると、張遼の携帯と部下の差し出した電話から、同じ声が二重に届く。

『『ハーイもしもし。なんつってハイ電話二刀流。
  …これでわかっただろ、本人だってよ。』』

顔の両側面に携帯電話を当ててしゃべっているのだろう。
そして向こうが高木の携帯を切ると、こちらの電話も切れ、電子音に代わる。

「…お前ら、何をしてるのかわかってるのか。そいつはカタギの人間だぞ。」

一際張遼の声が低くなる。
カタギの人間に手を出すことは、どこの極道でだってご法度だ。
ましてや、蜀は一般市民を保護することを第一目標としている組だ。規律に触れていないわけがない。

『…わかってるさ。だがこの際細かいこと言ってられねぇんでな。
 アンタと夏候惇揃って呼び出すためにはコレが確実だろ?大人しく指定の場所まで来な。
 安心しろよ、俺達だってあんまりやりたくねぇんだ、コトが終われば手ぇ出さずに逃がしてやるぜ。
 …それとも、保身のために巻き込まれた一般人を見殺しにするのかい?
 そんなことしたら組の看板にイテェ泥かかんなァ。』

確かに、手を出した向こうが悪いとは言え、一般人を巻き込んでまして死なせてしまったりなどすれば、不祥事として本家から処罰が下ろうし、この世界での風も厳しくなろう。世間的にもみ消しはするが、敵対勢力からマスコミに売られることも有り得なくはない。
下手をすれば、張遼の組だけでなく、曹本家の看板にも波及しかねない。
張遼は内心舌打ちした。

『…いや、組のメンツなんてアンタにはもうどうでもいいのかなぁ?
 呂布が殺されても生き残ってそのまま主殺した奴の下僕やってるアンタならなぁ!』

カッと怒りが全身の血管を駆け巡った。
面子命であるこの稼業で、これ以上ない侮辱だ。
増してや、それは張遼にとって永劫癒えることのない悲劇。
あの名前を聞くだけで未だ激情が暴れ出す。
守れなかった苦しみを、除けられ生き残らされた悲しみを、裏切りの怒りを。

電話を握る手に力が篭り、プラスチックがメキッと嫌な音を立てた。
張遼の傍らに立つ男は、電話の内容は聞こえていないが、突然豹変した張遼の焦点の合わぬ鬼相に震え上がる。

口を開こうとしたその時、ドアの向こうで派手な音がした。
同時に怒声がいくつも飛び、物音と共に俄かに騒々しくなる。
おそらく夏候惇が怒鳴るため電話に出ようとし、幾人もで取り押さえているのだろう。一際大きく彼の声がする。

『離せ黙っていられるか張遼がッ!!』

続く悲鳴のような声と物のぶつかる音。

彼の声を聞いた途端に、頭の中がクリアになっていくのを感じた。
怒気による熱い暗雲が静かに収まっていく。
夏候惇の怒声は、張遼を現在に引き戻し客観的な視野を思い出させる。
自分の今の立場と、あれが既に割り切った過去であることを。
あれは、そういう男だ。

張遼にとって、彼の真価は、腕の立つカリスマ性に秀でた若頭でも、自分の前でだけ見せるふざけた態度でもない。それだけならば体すら許し恋人と呼ぶことを許しはしない。
彼はあまりにも真っ直ぐ自分を求める。
その憎らしいほど真っ直ぐな心根が否応無しに張遼を走らせる。
過去など振り返っている暇はないと、悩んでいる時間などないと、張遼に前を向かせ背を押していく。
張遼を奮い立たせようとする者は幾人もいたが、それが彼だと押し付けがましくなく、心地よい。
捻くれる余裕も与えないほど硬派で強引なのだ。
一端受け入れてしまえばそれはなんとも爽快で、張遼に新しい生を与えた。

 初めての出会いは張遼の組長就任の翌日だった。曹操が若頭をやろう、と連れて来たのだ。
いや、厳密にはそれが初めてではない。曹操の懐刀としていつも曹操の背後に控えていたから。
張遼が呂布の後ろにいた頃から何度か顔は見ている。
しかしその頃はお互いそれぞれの主しか頭に無かったので、やはり初めての出会いと言えるのはあの日だろう。
その時の印象はお互い良くない。
張遼は曹操の思惑が読めて不快だったし、何より外見上はともかくまだ事件からほとんど立ち直れておらず、夏候惇の方は慣れない策略の駒役で緊張とストレスがあったし、曹操の傍を離れねばならぬことに納得できていなかった。
それがすぐ、夏候惇がよく世話を焼くようになった。
最初は彼の持つ兄貴肌が病的な人間を放っておけなかっただけなのだろう。
日増しにそれが強くなった頃、うっとおしいと振り払った手を掴まれ突然その腕に抱き込まれた。
そのまま愛の告白を受けたと思ったら、怒鳴られた。
内容はまぁ要するに、生きろ、と言うことだったのだが反論を全く聞き入れない稚気じみた頑固さとちっともほどけない腕の強さが張遼を混乱させ、同時に安心させるものだから外聞も泣くガッツリ泣いてしまった。
思えばそのまま抱かれてしまったのは付け上がらせる要因だったかと言えなくも無いが、それからも夏候惇は健康的に強引に世話を焼き、勝手に組に場所を作ってしまった。
張遼の、隣に。

一度受け入れてしまうと手放せなくなるほど頼もしい。


急に流転する自分の感情が可笑しい。
張遼は一瞬口の端に笑みを浮かべ、それから改めて冷酷な声をもって口を開いた。

「…思い違いをしているようなら言っておく。
 俺はあの時面子を捨てたのではない。抉り取られたのだ。
 俺は俺の面子を二度汚す野郎は決して許さない。
 お前が言ったことは挑発ではなく地雷だ。腐りきった脳味噌に血が出るまで刻み込むがいい。」

相手が思わず背筋を凍らせるような威圧感と冷気に満ちた声に、電話口も隣室も静まり返る。
張遼はそのままたたみかける。

「貴様らの下らぬ児戯に付き合うのも面倒だが、いいだろう、行ってやる。場所を言うがいい。」

「…なっ…おま、テメエ!!
 立場わかってんのかゴルァ!人質に火ィつけんぞボケが!!」

意気をくじかれた相手は口調を変える。
しかし張遼が怖気づくわけがない。

「カスめ、チンピラの脅しが組長に効くと思うのか。
 人質に傷でも付けてみろ、人質ごと蜂の巣にするだけだ。
 よく考えて物を言え、二人を見捨てたからといって面子に多少傷がつく程度で、実害はほとんど無いんだぞ。
 そこを要求通り私が行ってやると言ってるんだ、喚かず有り難く頭下げて丁重に場所を言え。」

一旦スイッチが入った張遼に躊躇いも容赦もない。見下し吐き捨てるよう言ってやる。
舐められたら負け、原点だが今向こうが思い出させてくれたことだ。
張遼は喉の奥で笑う。

電話口のヤクザは上等だ、と、埠頭のある倉庫のナンバーを怒鳴った。
夜間に多少騒ぎがあったところで迷惑があるわけでない、よくお世話になる類の場所だ。
時刻を言う前に張遼が

「では、一時間後に、そこで。」

と決める。
向こうは再び絶句し、更に怒りを上乗せして怒鳴り込んだ。

「調子乗ってんじゃねぇぞ奴隷野郎が!!
 こっちが人質取ってっこと忘れんじゃねぇぞ!?綺麗な姉ちゃんズタズタにしてやろうか!アア!?
 何だってやってやらぁ、いいか、蜀本家に話流すんじゃねぇぞ劉備様に知られたら問答無用だからな!
 それと、てめぇの兵隊動かすんじゃねぇぞ、いいか、二人だ、二人だけで来い。
 わかったな!!」

「わかったわかった。」

冷笑を含んだまま、一端言葉を切る。

「私に手を出したこと、後悔させてやる。」








 電話が切れ、隣室からぞろぞろと張遼の愛しい部下達が出てくる。
全員が真面目な表情で、そして組長への尊敬の目で。
先頭に立つ夏候惇も強(こわ)い表情をしていたが、そこには怒りと感動と逡巡が内在しているのが張遼にはすぐわかる。
冷酷な表情のまま張遼は全員を見渡した後、夏候惇と目を合わせた。
お互い、視線だけで大体言いたいことが伝わる。
夏候惇が頷き、背後を振り返り声を張った。下の者に指示を飛ばすのはいつも彼の役目だ。

「お前ら、話はわかったな!
 お前、本家に伝令に行け。直接孟徳に報告しろ。報告だけでいい。一兵も動かす必要は無いことしっかり言って置けよ。
 後の全員!臨戦待機で待機だ。呼んだ瞬間動かなかったらブチ殺すぞ!
 そこの!車を用意しろ。出る!」

「「「押忍!!」」」

一斉の掛け声と共に人員が散っていく。
事務所内が一瞬にして色めきたった。
結局は極道者、血生臭いことは誰もが大好きだ。

張遼も多分に漏れず上機嫌で側に来た夏候惇に言う。

「久しぶりの戦闘だ、楽しいな、夏候惇?」

「…気楽に言ってんじゃねぇよ…」

軽く脱力しながら呟き返す。
電話口では張遼の優勢に終わったが、実際事態は全く好転していない。
張遼と夏候惇二人だけで乗り込まねばならず、構成員も相変わらず動かせない。挑発できただけだ。
いや、人質が増えたのだから追い込まれたとも言える。
さっきの電話では何とか好条件をつけるべきだったのだ。
それを張遼は笑っている。
夏候惇は溜め息をつこうか説教するべきか迷っているのだが、大勢と同様先程の啖呵に快感を覚えたのも真実だ。
人を心酔させ、どこまでもついて行こうという気にさせる、その強烈で艶やかな美しさ。


夏候惇の心中を知らず、張遼は一体なぜなんだか、上機嫌だ。

「…さて。
 蜀本家にしゃべってはいけないのだったな。」

口でそう言って携帯電話を再び手に取り、張遼は薄い唇の片側を吊り上げた。
何か企んでいるのだろう。

それはさながら地獄で嗤う美しい鬼のようだと夏候惇は思った。
儚いくせに冷たく美しい、俺の惚れた鬼だ。

再確認するように口の中で呟き、夏候惇は拳を強く握った。

























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